コラム目次に戻る


”桂春団治”公演を観てみて

 

 4月8日、新橋演舞場にて、宮永雄平脚本・演出、沢田研二・藤山直美主演の「桂春団治」を観てきました。直美ちゃんとジュリーの共演は前回の「夫婦善哉」で経験済みだったので、今回はそれがどのように進化しているか楽しみにしていきました。

 物語は大正時代から昭和の初期にかけて、大阪・ミナミの法善寺横丁近辺を舞台に、当時の革新的な噺家「桂春団治」(沢田研二)の破天荒な人生と、その2番目の妻「おとき」(藤山直美)の情愛を描いたものです。春団治は自由闊達に生きた噺家らしく、高座も目新しい切り口と話し振りで人気を誇り、芸者衆を引き連れて遊びまくる豪放な人物に描かれています。

 それを沢田さんが演じるわけですが、自由気ままでやや破滅的な役柄を一生懸命演じていました。なんせジュリーなので「華」があり、京都生まれなので「関西風洒落っ気」は身についており、役柄を演じるには申し分ないのですが、やはり前回感じた「役者」としての技量や存在感はどうしても物足りませんでした。セリフの意味や雰囲気はある程度伝わるのですが、声質がこもっているのと、セリフが一本調子なので、細かいニュアンスがこちらになかなか響いてきません。もちろん前回よりは陰の部分やひょうきん・やんちゃな部分も上手に出していたのですが・・・。

 他の役者さんは、やはり舞台でずっとやってきたせいか、物腰とセリフが合体して体全体で表現しているのが伝わります。直美ちゃんも場面場面をよ〜く考えて、春団治と出会う頃はかわいいウブな女を演じ、春団治の妾に合うときは、辛い想いを胸に秘め、重い雰囲気を引きづる女を演じ、駆け落ち後両親に合いに行くときは殊勝な女を演じるのですが、声・物腰・立ち方歩き方・細かい心情など、すべてを使って表現しています。

 物語の最後は春団治の最後(死際)のシーンで、「彼の芸を引き継ぐものはどの時代にも出てくるよ」というメッセージで終わるのですが、2番目の妻おときと春団治の情愛の絡みの深さが足りなかったせいか、幕がおりても、観客はいまひとつ盛り上がりませんでした。つまりカーテンコールの拍手もまばらで、ややさみしい幕切れとなりました。これは演出が狙った路線かもしれませんが、観客としては、「ああ、よかったね”」とか、「天国で会えるよね」とかの「落しどころ」がほしかったのも事実です。

 ぼくとしては、物足りなかった。もっと、もっと泣かせて笑わせて感動させてほしかった。
直美ちゃんや小島秀哉さんや小島慶四郎さんの素晴らしい演技で、ホロッとさせられる場面も多々あったので、観に行って損はなかったのですが、心の底から楽しめるものではなかったのがさみしいです。

         
                 藤山直美さんと沢田研二さん